いとも優雅な意地悪の教本
お久しぶりです
夏休みに入り久々の投稿になります。
夏は本屋で面白そうな本を大人買いして読んでやろうと企んでますので、また投稿した時にはよかったら読んでください。
今回は橋本治の『いとも優雅な意地悪な教本』の紹介です。
意地悪の教本と書いてある通り意地悪とは何かを教えてくれます。ただそんなに簡単に教えてくれない。なかなか核心に至るまで話題が右往左往しますから。
私もこの本が結局何の本だったか途中からわからなくてつかみ所がないなと。
ズバリ意地悪というのは長ったらしい悪口のことだと言います。
悪口には「アホ」や「バカ」なんてありますが、これらは短いだけあってストレートに悪意が伝わってしまいます。長々としていれば相手にとってそれが意地悪か認識するのが難しくなる。さらに言い方によっては誰が意地悪な事を言っているのか、誰に言っているのか曖昧にできる。
そう言われると自分が書いてきたブログなんて文章が長すぎるものだから意地悪だと思われても仕方ないかと反省するのですが。
この他に意地悪の話を通して橋本氏が世間をどう見ていたかを見ることができます。例えば「第六講 男と女はどっちが意地悪」で男の意地悪は陰湿で見ていられないという話をします。
他人の才能に気がつくより、それを飛び越えて、「なんか知らんがもてはやされているんだろうな」と感じてそのことに嫉妬するー「気に入らない」と。
男は社会に受け入れられたいがために自分より勝る他人に嫉妬するけれど、世間では頭を使って何が自分に足りないかを自覚するという作業もせずに嫉妬する。ただ他人がもてているから嫉妬するというのです。
私にはこれもある種の意地悪のように聞こえるもので、今の世間には知性が足りないというか、脳思考が停止したまま自己の感情をむき出しにしていると皮肉を言っているのではないかと思いました。著者がわざとそういう意図をもって意地悪したのかわかりませんが。
教本といってもこのように著者の思考を覗くことができます。だから何か必死に学び取ろうとするよりエッセイだと思って読むのが良いかと思います。難しい文体ではないと思いますし、エッセイを読んで著者の思考について行けず「結局何の話かわからないじゃないか」と言ってしまうのは無粋かと思いますので...
読んでいただきありがとうございます!
ではまた!