kitaabooksの雑記林

どこにでもいる大学生が読書感想文を書くのであります。

八十日間世界一周

 

今度は友達からすすめられたものを読んでみた。

友人からの助言をもとに本を読むと自分の趣味や傾向では手に取らなかったような本に出会えるのでたまに聞いたりする。

 

SFの父とも称されるジュール・ヴェルヌの作品。『八十日間世界一周』である。

 

イギリスの貴族フィリアス・フォッグはいつものカードゲーム仲間と自分の財産を賭け金として、80日間のうちに世界一周は達成できるのかを賭ける。そして彼は下男とともにロンドンを出発しその旅路で壮大な冒険を繰り広げるという話である。

 

八十日間世界一周 (創元SF文庫)

八十日間世界一周 (創元SF文庫)

 

 

 

道中にどんな苦難があろうともフィリアス・フォッグは必ず間に合わせてみせるといわんばかりの毅然とした姿勢で乗り越えていく。正しく彼は鉄なのである。

そして、いちいちトラブルに遭っても、彼はそれを気にとめたり文句を言ったりせずに金や頭脳でスッと解決してしまう英国紳士っぷりを見るのは実に快い。

 

 

「すごいなあ!すごいなあ!新しいものを見ようと思えば、旅行するにかぎるってことが、ようやくわかった」

                   (創元SF文庫 pp.80より)

停泊した地で様々な国からやってきた人をみた下男の純粋な気持ちこの台詞、とても気に入った。

やはり目を見開くような発見をして感動することは実際に見ないと分からない。

私はそれが今も変わらないと思っている。

実際、人は、それほどの大きな利益がなくても、世界一周をするのではなかろうか? 

                   (創元SF文庫 pp.363より) 

最後の一文。旅への憧れっていうのは好奇心やそんなもので十分なんだろう。

 

この本は冒険というロマンを与えてくれる本だった。

良い本を紹介してもらったと思う。

 

 

人間たちの話

柞刈湯葉(いすかりゆば)のSF短編集『人間たちの話』

 

人間たちの話 (ハヤカワ文庫JA)

人間たちの話 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:柞刈 湯葉
  • 発売日: 2020/03/18
  • メディア: 文庫
 

 

この表紙のゆるい感じのイラストからカバー買いしてしまった。

あと、手軽にサクッと読みたい気分だったので短編集が丁度よかった。

 

現実の生活に少しSF要素をとり入れたような話もあったりしたし、物語も日常系という感じがしてゆるくてライトなSFという印象を受けた。短編小説が6篇収録されている。

例えば『たのしい超監視社会』は全体主義の超監視社会に住む人間の話。

 

監視社会といえばジョージ・オーウェルの『一九八四年』を連想するが、著者はその延長線上の物語を書きたいという好奇心から書いたという。

確かに今はYoutubeで自分の生活を開け放つことができて、それを不特定多数の人に監視されるんだから監視社会といってもいい。それにYoutubeなんて娯楽として成立してるものだから「たのしい監視社会」である。

 

人間が楽な方に流れるようになったことへのシニカルな笑いで楽しめた。

 

次に『人間たちの話』。

著者が生物学研究者だったというバックグラウンドから生まれたのだろう。

地球外生命体を探す研究者の話なんだけれども、

地球は同質に満ちている。異質な他者を求めるのならば、真空の闇に隔てられたほかの星に求めるしかない。

このように地球、人類は同質だと主人公が決めつけてしまっているのだが、

込み入った事情で同居している甥っ子との関わりでそれに変化が現れる。

 

地球外への憧れが思わぬところで家族という”内”に向く。SFの話かと思わないぐらいに家族の物語だった。(それでもここに出てくる宇宙の話は創作だと著者もあとがきで述べている。)

 

 

このゆるくライトなSF短編集いかがだろう

 

わたしの外国語漂流記: 未知なる言葉と格闘した25人の物語

 

外国語に触れる全ての人に読んでほしいという本を紹介します。

『わたしの外国語漂流記: 未知なる言葉と格闘した25人の物語』

 

この本は職業で外国語を扱う25人のエッセイ集になっている。

各々外国語を使う自分とそれをとりまく生活を語っている。例えば外国語習得で苦しかったことや成功体験が綴られている。

 

私自身、外国語を習得するには地道で不断の努力を要すると思っている。

毎日知らない単語と出会い、覚えたと思ったらすぐ忘れる。

まだまだ先に長い道が続いていると思うと嫌になることはある。

 

しかし25人の物語を読むと誰かしらこのように考えている人がいて私は”これでいい”と思えた。かくしてこの本は”外国語あるある”に共感できてさらにモチベーションにもつながった。

 

他にも印象的なフレーズがあって

そういうわけで、今までに勉強した外国語があまり好きになれなくても、もしかしたら別の外国語には面白い発見があるかもしれません。[...]みなさんに、外国語との素敵な巡り逢わせがありますように。

           (3章『新しい文字との出会いから』上田広美)

3章はこう締めくくられているのだが、外国語とのふれあいは巡り逢わせ、出会いなんだという。

英語と付き合っていかなくてはいけないのは重々承知なのだが、受験の時から英語を無理矢理やらされている気がしていた。しかし、そう思ってもいいし、他言語を学んでみてもいいと思わせてくれるような締めの文章だった。

 

 

 

留学とコロナ

 

今回は私自身が新型コロナウイルス感染症を起因とする騒動で学んだこと、感じたことを書きます

 

実は私昨年の秋より海外留学をしていて、この度の新型コロナウイルス感染症を起因とする騒動により留学を途中で断念して帰国しました。2週間以上前に帰国し現在は健康ですが自宅で自主隔離を続けています。

 

 

4月、新年度!自分が上手く切り替えてまた生きていくためにも、話しておきたい

 

この騒動で学んだこと

  1. 時間は有限ということ。

  2.  行動のスピード感。

  3. 一次情報の重要性。

  4. 差別のこと。 

 

時間は有限ということ。

突然留学を断念せざるをえなくなったのは、『100日後に死ぬワニ』ならぬ『100日後に死ぬ留学生』のようです。

いつ終わりが来るかもわからない中で自分は精一杯勉強できていたかと言えば悔いが残る。 

時間は有限でいつとりあげられるか分からない。だからこそ無駄にしていいことはないと思いました。100日後に死ぬワニのことを笑ってはいられないんです。

 

行動のスピード感。

実は感染症拡大により国境封鎖されるという情報を入手してから出国までは約1日しかなく、個人としてものすごい速いスピード感で行動することが求められました。

 自分の優柔不断さをこれほど恨んだことはありません。ただ将来その場で決断を迫られる場面はあるでしょうから、冷静に決断したいものです。

 

一次情報の重要性。

外国語を学ぶ意義はこんなところで実感しました。

特に今回の場合、空港が封鎖されるという情報が日本語のニュースで出るのを待っていては遅かったと思います。外国語を学んで情報ソースにアクセスできるというのは強みなんだと思います。

 

差別のこと。

留学中は日常的にアジア人差別を受けていましたが、コロナが広まってからは腫れ物のように扱われるようにもなりました。現地でアジア人はマイノリティだったために差別されていたと思います。

 

差別されていたから差別仕返そうとは思っていません。

それより日本に帰国して自分がマジョリティの側に立ったとしても差別なんかしちゃいけないって思っています。

 

 

これをもって留学のことから切り替えて新生活のスタートとしたいです。

 

 

100年かけてやる仕事 -中世ラテン語の辞書を編む-

こんにちは

 

実用至上主義で文系科目が軽視されがちな昨今だと感じます。文系学生の私としては自分の勉強がきっと将来何か自分の役に立つと思っていますがやはり意味を見いだせなくなってしまう時もあります。

 

今回は金にならない仕事に価値を見いだしてそれに尽力した人々にスポットを当てたノンフィクションを紹介します。

 

100年かけてやる仕事 ― 中世ラテン語の辞書を編む

100年かけてやる仕事 ― 中世ラテン語の辞書を編む

 

 

中世ラテン語

一番古いラテン語は紀元前7世紀ごろに生まれたとされている。時代によってラテン語を区別するため、5世紀の西ローマ帝国滅亡後ヨーロッパ各地域の言語に影響を受けながら使い続けられたのが「中世ラテン語」であるという。

 

というのも、当時ラテン語は書き言葉としか使われなくなっており、話し言葉として地域毎の言語が文法、音韻において中世ラテン語に影響を及ぼしたとされる。そして書き言葉なので公文書や論文に用いられた。

 

辞書編集

基本的に本作では辞書完成に至るまでの話を描いている。

言葉集めはボランティアによって行われた。もちろん人によってラテン語力の差はあるからそれを同じ水準で編集するのも難しい。英国国士院との間でコストを巡るやりとりもあった。そうした課題もありながら中世ラテン語の辞書が完成する。

 

他にも本作ではその辞書編集に携わった人々の編集に対する姿勢をエピソードとともに写してある。

 

批評

個人的に引っかかってのは著者が“目先の利益と時間に追われてばかりの日本”と“長い時間をかけてでも学問を追求しているイギリス”という対立で話を展開したいという意図が見え隠れすることです。JR福知山線脱線事故高速増殖炉もんじゅを引き合いに出していますが、必ずしもこれらが有機的に話題結びつかないと思われます。

ただ、目先の利益や時間に追われている社会に対して嫌気がさすのは感覚的に理解はできます。

 

感想

利益や成果を求められながらも、様々な人の努力で100年かけて辞書を完成しました。この実現は各人が知というものの価値を理解していたからだと思います。

 

金にならないのは当たり前なんです。

 

しかし中世ラテン語辞書という文脈のない情報の集積は、中世に確かにその言葉が存在したという決定的な事実を示すのです。

 

そして言葉には文化が現れます。

中世ラテン語がこの辞書によって規定されることで、現代にまでつながるヨーロッパ人のアイデンティティをも定めることにもつながります。

言い換えれば中世ラテン語が当時の文化を創り、それが今につながってるということがわかるわけです。

 

そう考えたらこの辞書の価値は充分あると思います。

 

本作では、何かを知ろうとするのはわざわざしなくてもいいことだけど、これは人間の本能だと言うのです。

その本能が文明を作り上げて現代まで発展してきたというのは認めなくてはならないと思います。

 

 

最後に

本作は金や時間に追われる日々だけれどそこから一歩離れて違う価値観に接する、そういう意味で中世ラテン語辞書を扱われたことは読者からしたら新鮮で興味深い内容だと思われます。

 

今回も読んでいただきありがとうございます

また一つお願いします

 

ではまた!

 

 

 

 

 

 

 

文章読本(著:谷崎潤一郎) ②文章の上達法

 

前回に引き続き谷崎潤一郎の『文章読本』に文章を書く極意を学びます。

 

前回の記事はこちら↓

kitaabooks.hatenablog.com

文章の上達法

著者は日本語に明確な文法がないから、文法通りに書けていることが名文であるとは言えないそうです。名文たる正確な条件や定義もないなら、具体的な方法は文章への感覚を研く以外ない。そこで感覚を研くために以下の二つを挙げています。

  • 出来るだけ多くのものを繰り返して読むこと。
  • 実際に自分で作ってみること

全ての細かい意味に囚われずに読む。これを続けるとわからなかった箇所でもだんだん意味をつかむことができるようになる。こうして名文を味わい感覚が研ぎ澄まされていくのだといいます。

 

そして自分で文章を作ることをしてみないと経験値として文章の観察眼が養われないというのです。自分が物書きとしての苦労を経験すると的を射た批評を下すことができるのであって、文章を書いた経験のない批評家はそれがないから的外れであると。

 

文章の要素

本書の3章では用語、調子、文体、体裁、品格、含蓄という六つの要素について敷衍しています。

 

ここではどのような言葉や文末選びをするかなど数多く項目を立てて話していますが、結局は感覚やセンスに依るものが大きいのです。だから感覚を研き続けることが大事だと言うのです。

 

1章2章での話が基本的に前提や著者の理論の話にあたりますが、3章は例示を多用して様々なスタイルを紹介していてわかりやすいです。この六つの他にも文章の構成なんかも要素の一つに挙げられるかなと個人的には思いましたが、要素があまりに多くてあえて扱わなかったのかもしれません。

 

感想

著者は通俗的文章読本を目指したとありますが、著者が文章と向き合ってきた経験やその感覚をもってその都度感じ取ってきたことが理論となって集約されていると感じました。

 

例に挙げられた近代文学作品を著者はどのように受け取るか。

それを知った上でその作品を読んでみたら自分だったらどう評価できるだろう。

経験や蓄積のない私に語れる言葉はあるのかと思うとやはり言葉は不自由なのであります。

 

ますます感覚を磨く努力が必要でしょう。

 

読んでいただきありがとうございました

是非また読んでください

 

ではまた!

 

 

文章読本(著:谷崎潤一郎) ①文章とは何か

今回は谷崎潤一郎に文章の書き方を学びます。文章を書くための大切なエッセンスが詰まってましたので、2回に分けてご紹介したい次第です。

 

文章を書く極意は文筆を生業とした小説家に習うのがふさわしいでしょう。私であればブログを書いていますし、何か学び取りたいと思います。

 

 

文章読本 (中公文庫)

文章読本 (中公文庫)

 

 

 

それでは本題に入りましょう

本書はプロの物書きやその類いの人のための文章読本でないということを始めに断ってあります。普通の人が文学を嗜み、自分で文章を書く際に生かせるような内容です。

 

 

言語は万能ではない

今回は本書の1章を扱います。ここで著者は日本語の特徴から文章はどうあるべきかを様々なスタイルを挙げて評価しながら述べています。

 

 その中でも私は自分にとって意外なフレーズに触れました。

言語は万能なものでないこと、その働きは不自由であり、時には有害なもであることを、忘れてはならないのであります。(p.20)

 言葉は思考を表現する機能がある。しかし逆に思考を一定の型に入れてしまうので、感覚や思考を正確に表しきれないこともあるという。故に万能ではないというのです。

 

私は案外「エモい」だとか新語が毎年出てくるものだから、造語を行う事で言葉には思考を言い表せる可能性があると思っていました。しかし料理のおいしさはどれほど頑張っても他人とは共有しきれないものです。たしかに言葉は万能ではないでしょう。

 

 

実用的、逸れ即ち藝術的

現代において文章に芸術性よりもそれがいかに他者に伝わるかを重視しがちですが、ここでまた私が気になったフレーズをもう一つ紹介します。

最も実用的に書くと云うことが、即ち藝術的の手腕を要する(p.28)

 

芸術的というのは、簡潔な表現でありながら、視覚にも聴覚にも残ることが条件であるようです。そのために古典の精神に復ることが必要だと言います。

 

古典では同じ言葉でも使う場面毎に適した意味を持たせ、意味に広がりをもたせる。例えば「あはれ」というのも強い心の動きを指すもので、その指す意味は文脈に乗せてこそイメージできる。

言葉の他に古文や漢文には独特のリズムがある。広い意味を持つ言葉とそのリズムで読者に想像させる。

このように古典への回帰が読者に内容を分からせて長く記憶させる文の秘訣なのだと云います。

 

今やTwitterなど少ない文字数で効果的に考えを伝えることも必要になりますから、ためになるフレーズではないでしょうか。ただ、個人的には実用と芸術はやはり重ならないと思っています。あえて曖昧な言葉を用いて相手に受け取り方を委ねるのは魅力的だが実用からかけ離れるからだと思うからです。

 

次回は文章が上達する方法について共有します。

読んでいただきありがとうございました。

 

ではまた!