100年かけてやる仕事 -中世ラテン語の辞書を編む-
こんにちは
実用至上主義で文系科目が軽視されがちな昨今だと感じます。文系学生の私としては自分の勉強がきっと将来何か自分の役に立つと思っていますがやはり意味を見いだせなくなってしまう時もあります。
今回は金にならない仕事に価値を見いだしてそれに尽力した人々にスポットを当てたノンフィクションを紹介します。
中世ラテン語
一番古いラテン語は紀元前7世紀ごろに生まれたとされている。時代によってラテン語を区別するため、5世紀の西ローマ帝国滅亡後ヨーロッパ各地域の言語に影響を受けながら使い続けられたのが「中世ラテン語」であるという。
というのも、当時ラテン語は書き言葉としか使われなくなっており、話し言葉として地域毎の言語が文法、音韻において中世ラテン語に影響を及ぼしたとされる。そして書き言葉なので公文書や論文に用いられた。
辞書編集
基本的に本作では辞書完成に至るまでの話を描いている。
言葉集めはボランティアによって行われた。もちろん人によってラテン語力の差はあるからそれを同じ水準で編集するのも難しい。英国国士院との間でコストを巡るやりとりもあった。そうした課題もありながら中世ラテン語の辞書が完成する。
他にも本作ではその辞書編集に携わった人々の編集に対する姿勢をエピソードとともに写してある。
批評
個人的に引っかかってのは著者が“目先の利益と時間に追われてばかりの日本”と“長い時間をかけてでも学問を追求しているイギリス”という対立で話を展開したいという意図が見え隠れすることです。JR福知山線脱線事故や高速増殖炉もんじゅを引き合いに出していますが、必ずしもこれらが有機的に話題結びつかないと思われます。
ただ、目先の利益や時間に追われている社会に対して嫌気がさすのは感覚的に理解はできます。
感想
利益や成果を求められながらも、様々な人の努力で100年かけて辞書を完成しました。この実現は各人が知というものの価値を理解していたからだと思います。
金にならないのは当たり前なんです。
しかし中世ラテン語辞書という文脈のない情報の集積は、中世に確かにその言葉が存在したという決定的な事実を示すのです。
そして言葉には文化が現れます。
中世ラテン語がこの辞書によって規定されることで、現代にまでつながるヨーロッパ人のアイデンティティをも定めることにもつながります。
言い換えれば中世ラテン語が当時の文化を創り、それが今につながってるということがわかるわけです。
そう考えたらこの辞書の価値は充分あると思います。
本作では、何かを知ろうとするのはわざわざしなくてもいいことだけど、これは人間の本能だと言うのです。
その本能が文明を作り上げて現代まで発展してきたというのは認めなくてはならないと思います。
最後に
本作は金や時間に追われる日々だけれどそこから一歩離れて違う価値観に接する、そういう意味で中世ラテン語辞書を扱われたことは読者からしたら新鮮で興味深い内容だと思われます。
今回も読んでいただきありがとうございます
また一つお願いします
ではまた!