スクラップ・アンド・ビルド
羽田圭介の『スクラップ・アンド・ビルド』を読みました。第153回芥川賞受賞作です。羽田さんがテレビのバラエティ番組に出演しているのを見たところから、作品を読んでみたくなったのです。
どんな話?
28歳で定職に就かない健斗は母と祖父と3人暮らし。祖父は介護が必要な後期高齢者であり、介護を受ける度「じいちゃんなんか、早う死んだらよか」という自己嫌悪を含んだ台詞を口にする。健斗はその言葉を祖父の魂の叫びとして捉え、何も苦痛を伴わない「究極の尊厳死」を実現させようとする。そして祖父の苦しみを取り除こうという試みの先に答えを祖父との共生のための解を見出す。
スクラップ?ビルド?
どこから「スクラップ・アンド・ビルド」というのはやって来たのか考察しました。
健斗が自発的に筋トレを行う場面が多く出てきます。そこでは細胞が破壊され超回復によってまた再生されていくところに「スクラップ・アンド・ビルド」を見ることができます。
つまり、たとえ数ヶ月後にこの地獄に飽きていたとしても、今のこの鍛錬は無駄にならない。筋肉はこの地獄の中でのあらがいを、すべてちゃんと記憶するのだから。
(羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』)
筋トレという「スクラップ」はここでは「地獄の中のあらがい」とされていますが、「スクラップ」という行為には少しの希望が見出せるものだとわかります。
もう少し俯瞰的に見てみると健斗が祖父を「スクラップアンドビルド」させているというように読めました。
「究極の尊厳死」を実現するために健斗は祖父の代わりに物事をこなし、祖父を甘やかします。そこで、健斗は「祖父なら1人で風呂に入られる」と思ったのに祖父が風呂で溺れる場面があります。ここまで健斗は祖父の運動能力、身体機能を「スクラップ」したのです。
この風呂の場面の最後に、健斗は死にたいとあれほど言っていた祖父がまだ生きたいという意志を持っていることを感じます。
そして健斗が新しい職に就き、自分や祖父の新しい生活はどうなっていくのかと思いを馳せるという最後の場面へと続くのです。
ここから祖父の「スクラップ」が「ビルド」へ転じていくのでしょう。
結局「スクラップ」と「ビルド」を繰り返し、何かを積み重ねていくという営みが生きるということなのかもしれません。
感想
健斗の母親は祖父の介護に対して苛つきを思いっきり表に出しています。実父の甘えた姿勢が原因だと言っています。
介護は大変だとか言うことは容易いですが、仮に自分にその役割が回ってきたとして常にいい顔をして介護できるだろうかと自問自答しました。せめてこの小説に出てくる母と祖父の険悪な関係になりたくないものです。
最後に背表紙のあらすじで、この小説が「瑞々しさと可笑しみ漂う筆致」で書かれているとしていますが、特にどこからそう表現されたのか気になってしまいました。
自分の読書経験が浅さが反省されます。
拙い文章を読んでいただきありがとうございます
また何か読んだら更新しますね
ではまた~