【漫画】二月の勝者 ー絶対合格の教室ー
漫画ですよ。
自分も中学受験の道を通ったなあ笑
二月の勝者 ー絶対合格の教室ー (1) (ビッグコミックス)
- 作者: 高瀬志帆
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2018/02/09
- メディア: コミック
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高瀬志帆の『二月の勝者 ー絶対合格の教室ー』です。三巻まで出ているそうです。
どんな話?
中学受験の塾を題材とした漫画です。桜花ゼミナールの新米講師である佐倉麻衣が、突如ライバル塾からやってきたスゴ腕カリスマ講師の黒木蔵人に、中学受験の世界を学びながら成長していきます。
中学受験のリアルがドSな黒木を通して語られます。
お受験
受験というだけでも大変なものです。
"戦争"と例えられるぐらいですからね...
しかし中学受験は特に親や塾の力が当人よりも強く影響しています。
中学受験で難関の私立中高一貫校に合格するということは、そのさらに先の大学受験での優位を獲得するに等しい。そのためには少しでも実績のある塾、少しでも多くの講座をと、金をかけていくのです。
漫画では新幹線の乗車券の喩えが用いられてましたが、これがまた絶妙すぎる…
きっと漫画を読めば納得されると思います! (二巻参照)
読みながらこんなこと考えてほしい!
1.中学受験を経験した人
→自分が親にどれほど投資されていたかご存じでしたか?結果としてその経験をしたことをどう評価しますか?
2.中学受験を経験しなかった人
→中学受験ってこれほど大人の都合で動いているのかというリアルさを知った上で、自分の子供に中学受験をさせますか?
受験をしてこなければ今の自分はないと思いますし、親には感謝しています。ただ、自分は受験はより高いレベルの学校を目指し合格することがゴールだというのに囚われてしまったのも事実です。
というのも、将来何がしたいという夢を持ち、それに向けての進路選択をしなかった結果、「大学に何しに来ているんだ...」と悩むことになりました。
それでも今は何がしたいか、何ができるかを前向きになって考えています。
最後に
この漫画を読み受験した過去に思いを馳せながら今に立ち返る自分がいました。
皆さんには受験という日本の教育文化がどう映るでしょうか?
今回も読んでいただきありがとうございます!
ではまた~
『思考の整理学』 頭が良くなる雑談とは?
『思考の整理学』を読んでの雑多な考えです。というより、普段行っている雑談のテイストを変えてみませんかという提案です。
雑談とゴシップ
ゴシップって他人からの食いつきがよく、何かゴシップネタがあればそれだけで会話がどんどん進んでいくものです。だから芸能人の噂話とかをネタにする記事が売れるんですよね。
話者同士が、共通の知り合いの誰かが何かをした「らしい」といった話をする。
A君がBさんに告白した「らしい」だの、結局A君はBさんにフラれた「らしい」だの...
いかにも大学生らしい会話…良いとは思う…自分もそういう会話楽しんでしまいます笑
ただ、自分の脳みその蓄えにはなりにくいでしょう。記憶に他人の恋愛話を取り込んだところでそれが自分の研究に役立つようになるとは言いにくい。
俗世を離れた知的会話とは、まず、身近な人の名、固有名詞を引っぱり出さないことである。共通の知人の名前が出ると、どうしても、会話はゴシップに終る。ゴシップからはネズミ一匹出ない。害あって益なしである。
身近な知り合いの人名を持ち出す時点で、もうその会話は頭を使わないゴシップとなります。
知的会話とは
友達同士の会話でお互いの意見を交わし新たな見知を得る。中にはそんな会話があっても良いんじゃないですか?
例えばレポートのテーマを探すにあたり、本やインターネットを情報収集のツールとして活用するでしょう。友達との会話をインプットとしてとらえるのも良いかもしれません。
同級生に何を扱うのか聞けば、その人がもつ価値観や問題意識がわかるでしょう。次に自分がどういう内容を書こうとしているかを相手に伝えたらこれでアイデアの交流が発生します。
喋るというだけで、自分の思考を相手に効果的に伝えるように工夫するようになります。そして自分の頭の中に漠然としていたものが言語として形になる。友達が話し相手なら緊張もないはずです。
なぜこのような事を書いたかというと、
若者は政治的な議論を敬遠しがちだという議論をニュース番組で見た時に、このような知的会話が若者の間でされていないからだと考えたからです。
あとは勉強に限らず、自分のやりたいことを熱心に語る人を「意識高い」と皮肉ってしまう前に、何か参考になることはないかと聞いてみるべきなんじゃないかと思いまして。
会話ですらアイデア集めと思って貪欲にいきたいものです。
思考の整理学
外山滋比古の『思考の整理学』。本屋に行く度に「東大生、京大生に売れてる!」みたいな文句が目を引きます。
この本では、著者が「考える」という行為とは何かに迫っています。これを読んで私は学びに対する姿勢を正されました。
例えば最初の「グライダー」という章では、
現在の学校教育で育つのはグライダーの能力だが、もっと欲しいのは自分でエンジンを積んで飛行する能力なのだと言います。
つまり学生らは受動的に知識を得てばかりで自分で物事を発見することが足りていないのというのです。
たしかに、誰かに答えやヒントが教えてもらえる問題があったとしたら、そんなものは既に解決していることでしょう。
インプットもある意味で大事な姿勢でありますが、それが絶対的で唯一人間として必要な能力かと言われればそうではない気がします。
物を覚えさせるのであればコンピューターにでもやらせたらよいはずです。クラウドに保存しておけばもっと安心です。
やはり答えが誰も出せていない問題に向かって自らのエンジンで推進する、あるいは自らの頭で思考し創造することに人間としての価値があるのだと思います。
今回は、大学の授業を未だに受験勉強の延長のように捉えていないかと自問自答する機会となりました。ただ単位取得にテストでいい点を取るということが授業に出る目的になっていないだろうかと。日々見聞きすることを貪欲に吸収できているだろうかと。
というわけで、この本に、勉強と向き合うための気合いを入れ直してもらいました。
この本について気になったことを別の記事にわけてまた書きたいと思います。とりあえずここで。
ではまた〜
完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込
どうも、お久しぶりです。
試験期間でしたのでしばらく書けない状態でありました。
ただ勉強の合間に読書はしてましたので少しばかりストックはできたと言ったところです。
今回は若林正恭の『完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込』です。
読書芸人としておなじみのオードリー若林正恭のエッセイ集ですね。
『ダ・ヴィンチ』という雑誌での連載がまとめられ、内容も加えられていてボリュームたっぷりです。
そのネガティブの穴の底に答えがあると思ってんだろうけど、20年調査した結果、それただの穴だよ。
(若林正恭『完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込』)
本屋でこの本が立てかけられてあって、この帯の文言を見て読んでみたいと思えました。「ネガティブの穴」に自分も陥ることはよくあります。自分はネガティブさに引きずられてどんどん穴の底を掘り進めてしまうんですがね。
それにしてもこの数行でどこか共感できそう、この人の頭の中を覗いてみたいと感じて読むことにしたのです。
約4年にわたる連載の中で彼の中で変化が起きているところが見所であります。とはいえ私は彼に共感できそうといった動機で購入しましたので、特に連載初期のものが楽しんで読めました。著者が「トガって」いた頃です。
著者が日常で考えたことを、過去のエピソードを交えながら何か一つのテーマに抽象化し、サクッと気楽に読めるような文体に落とし込んでいる...
ラジオとかお笑いのエピソードトークとやることが似ているからこれほど面白いのでしょうか。
あるエピソードの最後に「大丈夫と言うことから大丈夫は始まるのだ」というフレーズがありました。この言葉に引っかかったということは自分にも大丈夫だと他の人に言ってもらいたいところがあるのかもしれません。
全てのエピソードが面白おかしいという訳ではないですが、しんみりとしたところにも共感の種がありました。
丁度これが読み終わった時にニュースで著者の新しいエッセイ集発売が発表されましたので著者の他作品も追って行きたいものです。
あまり読んで来なかったジャンルですが、エッセイというのもいいですね
ではまた~
スクラップ・アンド・ビルド
羽田圭介の『スクラップ・アンド・ビルド』を読みました。第153回芥川賞受賞作です。羽田さんがテレビのバラエティ番組に出演しているのを見たところから、作品を読んでみたくなったのです。
どんな話?
28歳で定職に就かない健斗は母と祖父と3人暮らし。祖父は介護が必要な後期高齢者であり、介護を受ける度「じいちゃんなんか、早う死んだらよか」という自己嫌悪を含んだ台詞を口にする。健斗はその言葉を祖父の魂の叫びとして捉え、何も苦痛を伴わない「究極の尊厳死」を実現させようとする。そして祖父の苦しみを取り除こうという試みの先に答えを祖父との共生のための解を見出す。
スクラップ?ビルド?
どこから「スクラップ・アンド・ビルド」というのはやって来たのか考察しました。
健斗が自発的に筋トレを行う場面が多く出てきます。そこでは細胞が破壊され超回復によってまた再生されていくところに「スクラップ・アンド・ビルド」を見ることができます。
つまり、たとえ数ヶ月後にこの地獄に飽きていたとしても、今のこの鍛錬は無駄にならない。筋肉はこの地獄の中でのあらがいを、すべてちゃんと記憶するのだから。
(羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』)
筋トレという「スクラップ」はここでは「地獄の中のあらがい」とされていますが、「スクラップ」という行為には少しの希望が見出せるものだとわかります。
もう少し俯瞰的に見てみると健斗が祖父を「スクラップアンドビルド」させているというように読めました。
「究極の尊厳死」を実現するために健斗は祖父の代わりに物事をこなし、祖父を甘やかします。そこで、健斗は「祖父なら1人で風呂に入られる」と思ったのに祖父が風呂で溺れる場面があります。ここまで健斗は祖父の運動能力、身体機能を「スクラップ」したのです。
この風呂の場面の最後に、健斗は死にたいとあれほど言っていた祖父がまだ生きたいという意志を持っていることを感じます。
そして健斗が新しい職に就き、自分や祖父の新しい生活はどうなっていくのかと思いを馳せるという最後の場面へと続くのです。
ここから祖父の「スクラップ」が「ビルド」へ転じていくのでしょう。
結局「スクラップ」と「ビルド」を繰り返し、何かを積み重ねていくという営みが生きるということなのかもしれません。
感想
健斗の母親は祖父の介護に対して苛つきを思いっきり表に出しています。実父の甘えた姿勢が原因だと言っています。
介護は大変だとか言うことは容易いですが、仮に自分にその役割が回ってきたとして常にいい顔をして介護できるだろうかと自問自答しました。せめてこの小説に出てくる母と祖父の険悪な関係になりたくないものです。
最後に背表紙のあらすじで、この小説が「瑞々しさと可笑しみ漂う筆致」で書かれているとしていますが、特にどこからそう表現されたのか気になってしまいました。
自分の読書経験が浅さが反省されます。
拙い文章を読んでいただきありがとうございます
また何か読んだら更新しますね
ではまた~
動物農場
ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読みました。ジョージ・オーウェルの代表的なディストピア小説ですね。
どんな話?
悲惨で隷属的な生活を脱しようと、動物たちは農場主を追い出し自分たちだけの農場を作り上げていく話です。とはいってもこの動物農場は「すべての動物は平等」という崇高な理念を掲げながらも、結局は人間に支配されていたのと同じくらい酷い時代に逆戻りしてしまうのです。
そしてこの作品は全体主義への皮肉を寓話に落とし込んだ作品だとされていて、登場人物/動物が実在する人物と対応しています。
感想
動物農場はどこで道を間違えたか、思いつくままに..
一つ目は理念を掲げる者が何もせず亡くなったから。冒頭に老豚は「すべての動物は平等」という高い理念を打ち出したまま亡くなります。 この段階から理想郷の設計図が老豚の手から離れてしまう危うさがあったわけです。言い換えると、老豚は動物を煽動しただけでなにもしなかったため、老豚が提唱した通りの世界が実現する保証はなくなったのです。
二つ目は豚以外の動物が不満の声をあげなかったことです。動物たちは農場の規則が少しずつ変えられていることに気付きはしますが、結局それを受け入れてしまいます。どんどん豚たちの都合のいいようになりました。
大衆は違和感を覚えたら声をあげることが必要だという教訓が含まれている気がします。
この本を読んで得た教訓
物語で頭の良い動物とそうでない動物の棲み分けがされています。
頭の良い豚は知的労働、それ以外は読み書きがまともにできないので肉体労働に従事しました。一見能力の差による分業かと思えばたちまち豚が権力を持ち支配と被支配という関係ができあがってしまうのです。
人間に落とし込んで考えた時、(頭は良し悪しは置いておき)教養をもつこと、批判的な目で権力者を監視することが重要だと思いました。
権力者を批判的に監視しなければ、権力者は高をくくって都合のいいことをし始めるでしょう。そして民衆に基礎的な教養もないと人々は自分が損をすることがなされているのだとも気づかないでしょう。
終わりに
童話を読んでいるような優しい語り口調だったのに、読んだ後味が悪い笑
これぞディストピア小説というところでしょうか。面白かったです。
また何か読んだら更新しますね
ではまた~
はじめまして
はじめまして、kitaabooksといいます。
合間を見つけては読書をする大学生です。
ブログというのは初めてで、読んだ本の内容や感想をアウトプットしてみようと思って始めました。ある意味自己投資的な部分が大きいかと。
まず現時点では自分が読みたい本を読むだけなので特定のジャンルに特化していません。
とはいえ、合間で読みやすい文庫や新書を読むことがほとんどです。気軽に何冊も買いやすいですし。
今まで本の感想はノートに書いて自分の内で完結させていましたが、外の方にも見られるという意識も持ちながら書いたらまた違ったものになるかと思います。
というわけで
よろしくお願いします